「再び国体へ〜新たな挑戦〜」

山岳競技 菅野富寿

 今回の宮城国体は、3年前に神奈川県選手として出場した神奈川国体以来の久しぶりの参加となりました。
 2年前に地元に帰ってきてから環境が変わり、仕事の都合などもあり、精神的に国体に出場する気になれなかったのです。何よりも山岳競技のクライミングを練習する環境が整っていなかったため、「裏打ちされたトレーニングのないところに結果はでない」とわかっていたので、国体からは気持ちが離れていきました。

 しかし一変して、私をクライミングへ駆り立てたいくつかの要因が急速に整いはじめたのでした。それは1.今春にあづま総合運動公園に人工クライミング壁ができたこと、2.仙台に東北初の民間の室内クライミングジムができたこと、3.山と渓谷社から「日本の岩場100」が創刊され容易に岩場を選択し登れるようになったこと、4.自然壁のボルト関係のルート整備が進み、安全に登れるようになったこと、以上4つの条件から確立されたトレーニング方法ができあがり、これだったら戦えるという手ごたえを感じたので、再び国体の場へと登り始めたのです。

 思えば6年前、福島から神奈川へ引っ越し、初めて民間のクライミングジムへ行ったときの衝撃は大きいものでした。クライミング人口の多さとそのダイナミックな動きに、レベルの違いをまざまざと見せつけられ、それは今までの常識をくつがえすものでした。おおむね関東圏のクライマーはこうした人工壁で鍛えられた人達が多く、確かに短時間でクライミング力は向上します。しかし、人工壁でのクライミングは所詮、人工的なものでしかなく、人間の想像力を越えたものではないでしょう。更にもう一歩レベルを上げるには、自然壁でのクライミングが必要です。自然の条件に人間が適応したクライミングをすることは、人間の想像力・体力を極限まで追い込むもので、そこに妥協などありません。

 「人工壁と自然壁の融合」それがクライミング力を向上させる上で一番理想的な条件であると思います。そう考えたとき、ここ福島は自然壁が充実している上、人工壁が整った今、日本屈指の恵まれた環境に居ると思ったのでした。精神面でも、国体で勝ちたいという心を支えていたのは「東京もんには負けねぇ」という正直な気持ちでした。

 だからこそ、わずかなトレーニング期間ではありましたが、宮城国体の優勝へとつながったのだと思います。

「勝利に偶然など無いと思っている。
勝ち方を知っているから、勝つ手段が見えてくる。
明確なトレーニング方法を立てられるから、
計画的、緻密なトレーニングをこなせる。
しかし、それらを支えているのは精神という、
その人の気持ち次第ではあるが...。」

〜付記〜
私はアマチュアスポーツとして競技に取り組んでおります。あくまでも仕事重視です。国民体育大会はアマチュアスポーツの祭典であり、仕事をおろそかにしてまで取り組むべきではないと思っています。選手それぞれの練習環境があるわけで、そういった意味で優勝がすばらしいとはあまり思いません。一番大事なことは、自分でいかに評価するかだと思います。仕事を効率よくこなし、その上で練習計画を立て、緻密なトレーニングができたかを考慮した上で、競技結果を予測し、実際の競技結果と照らし合わせ、自分で評価することが、最大の喜びであると思っています。

プロフィール
出身 安達郡東和町出身
経歴 福島東高校卒
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赤門鍼灸柔整専門学校卒
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福島県体育協会職員
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キッツスポーツスクエア平塚店勤務
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松川クリニックリハビリ科勤務

主な成績
1992年 山形国体山岳競技6位
1993年 四国国体山岳競技4位
1994年 愛知国体山岳競技7位
1995年 福島国体優勝
1997年 大阪国体優勝
1998年 神奈川国体2位
2001年 宮城国体優勝

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