「カヌーと私」

及川 智美

<カヌーとの出会い>
 私がカヌーを始めたのは、22歳の時のことです。当時、福島大学大学院に通いながら安達高校の非常勤講師をしていました。

 ある日、体育の授業中にカヌー部の生徒からカヌーを勧められ、東和町にある阿武隈漕艇場に行ってみました。今まで、スポーツは何でも無難にこなしてきたので、カヌーくらいできるだろうと思っていました。しかし、高校生が乗っているレーシング艇は非常にバランスが悪く、艇に1秒間も乗っていることができません。それどころか、乗ろうとすると川に投げ出されるようにひっくり返るのです。結局、1日目はカヌーに乗ることさえできませんでした。そのことがあまりにも悔しくて、それから毎日漕艇場に通いました。

 これがカヌー人生のスタートです。
 私を燃えさせたもの、それは「国体」です。私の両親はそれぞれ陸上、バレーボールの国体選手だったということもあり、小さい頃から国体に出場するのが夢でした。小学校の頃から剣道をやっていましたが、当時、成年女子の国体出場枠がなく、目標を失っていました。そんな時に出会ったのがカヌーでした。

<目指せふくしま国体>
 私が国体を目指して本格的にカヌーを始めたのは平成4年の11月で、ふくしま国体まであと3年という時期でした。

 1年目はスラロームに挑戦し、「東四国国体」に出場しました。レース中に何度か転覆しましたが、なんとか起きあがって無事ゴールし、13位という成績でした。

 2年目からは就職と同時に上位入賞を目指すためにワイルドウオーターに転向しました。仕事との両立が心配でしたが、国体強化選手ということで放課後や休日は自分の練習に専念させていただき、十分に練習することができました。なんといっても、職場の方々や生徒からの温かい応援がパワーの源になっていたような気がします。

 そして迎えた平成7年「ふくしま国体」の年。県内にワイルドウオーターの強化選手は私の他にもう1人いて(小久保さん:旧姓秋葉)、彼女が最大のライバルでした。ワイルドウオーターの選手を7戦の結果で決定することになり、県内の予選会(5月)では1勝1敗、東北選手権(6月)では1敗しました。広島で行われた全日本選手権(7月)では500mで私が優勝、1500mで秋葉さんが優勝し、いつの間にか2人とも日本でもトップにたてる選手に成長していました。そして、8月に福島で行われた最終予選会では1勝1敗。結局、3勝4敗で県内の予選で敗れ、私は「ふくしま国体」に出場することができませんでした。

 もしも自分が選手になれなかったら心からライバルを応援できるのだろうかと思っていました。しかし、国体では自分が本気で戦ったライバルのレースに感動し、涙がこみ上げてきました。ライバルの存在が私を大きく成長させてくれました。負けることを恐れず、目標に向けて精一杯取り組んだ3年間は本当に大切な時間でした。

<世界の壁>
 ふくしま国体が終わり、次の目標は世界選手権出場。

 しかし、勤務する中学校では担任や部活動を持ちながら、どのように練習時間を確保するかが課題でした。ふくしま国体の前ほどの練習はできませんが、部活指導が終わった後に県庁裏の阿武隈川で練習をしたり、スポーツクラブに通って筋力トレーニングを行っていました。

 カヌーのナショナルチームを決めるジャパンカップで上位入賞し、ドイツで行われたワールドカップ(1997年)、世界選手権(1998年)に出場することができました。噂には聞いていましたが、海外の川はゴールできるかどうかわからないほど激しく、練習で岩に激突したり、脱艇して泳いだりして、艇も体もボロボロになってしまいました。国内のレースでは味わうことのない恐怖感。スキーに例えると、初心者が急斜面をボーゲンで滑るようなものです。一緒に行った女子選手は、練習で肩を脱臼し、レースに出場できないというハプニングもありました。

 どちらの大会でも無事ゴールはしたものの、レース中に岩に乗り上げたり、挟まったりしてかなりのタイムロス。どんなに練習しても私が世界のトップに立つことは無理であることがわかりました。日本の選手が世界で活躍するには、スキーと同じように小さい頃からカヌーを始めること、そして海外の激しい川での練習時間を長くする必要があると思いました。

 次に目指すもの。それは今まで果たせなかった「国体優勝」。

<そして迎えた宮城国体>
 ふくしま国体の翌年から毎年国体に出場し、8位以内には入賞はしていましたが、上位入賞することがなかなかできませんでした。自分では担任や部活動を持ち、その仕事と両立させようと精一杯努力していたつもりなので、こんなものかとあきらめていました。

 しかし、だらだらと選手生活を続けていても結局結果を残せないので、「勝ったら引退しよう」と心に決めて宮城国体に臨むことにしました。いつも国体では移動で疲れたり、暑さに負けて力を出し切れていなかったので、隣の県しかも涼しい土地でのレースはきっと私に味方してくれるのではないかと思いました。監督やコーチも私をなんとか勝たせてやりたいと思ってくれていることがわかっていたので、その期待にも応えたいとも思いました。

 例年、ジャパンカップや全日本選手権など国体の前に4〜5試合は出場していましたが、今年は国体に絞るためにジャパンカップ2戦のみ出場しました。練習の成果が出たのか、2戦とも優勝することができました。今年度無敗で国体に出場。しかし油断はできません。そこで夏休みの合宿では例年のメニューの約1.5倍の量をこなし、とにかく自信をつけることにしました。その後の調整もうまくいき、ついに宮城国体を迎えました。

 国体1日目。午前中に開会式、午後にワイルドウオーター1500mが行われました。
開会式が終わり、レースに向けて準備をしていると私にカヌーを勧めてくれた安達高校時代の教え子が応援にきてくれていました。予想もしていなかったので大変驚きましたが、これは負けられないとさらに気合いが入りました。

 いよいよ、決勝。ノンストップトレーニングの参考タイムが2位だったので、ペース配分さえしっかりできれば優勝できると思いました。1500mのコースで苦しい箇所がいくつかありますが、そこには必ず仲間が声をかけてくれました。とぎれることのない応援に後押しされて、ほとんどミスもなくゴールしました。精一杯力を出し切ることができたので、いつにないさわやかな気持ちになりました。

 ゴールから数分が経過し、2位であることが耳に入りました。1位が誰なのか、タイム差とどれくらいかなどあまり気にはなりませんでした。ただ、私以上に勝ちたいという気持ちが強かったのだろうと感心するだけでした。

 表彰式。国体では上ったことのない高い表彰台。2番目ではあるけれど、私にとっては最高のレースだったと思います。今まで1人で戦ってきたわけでなく、私を支えてくれたチームの仲間、そしていつも応援してくれた同僚そして生徒たちがいたからこそここまで頑張ることができたと感謝の気持ちでいっぱいになりました。今まで続けてきてよかったと心から思えた瞬間でした。

<おわりに>
 カヌー歴9年。この期間に私はたくさんの財産を手に入れることができました。

 今まで多くの人たちに本当にお世話になってきました。カヌーを通して学んだことを無限の可能性を秘めた中学生たちに様々な場面で伝えていくことがお世話になった人たちへの恩返しになるだろうと考えています。

プロフィール
出身 岩手県胆沢郡金ヶ崎町
経歴 岩手県立金ヶ崎高等学校
   ↓
福島大学教育学部
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福島大学大学院教育学研究科
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船引町立船引中学校教諭

主な成績
1995年 全日本選手権 500m 優勝
1996年 全日本選手権 1500m 優勝
1997年 ワールドカップ出場(ドイツ)
1998年 世界選手権出場(ドイツ)
2001年
ジャパンカップ 第2戦 優勝
第3戦 優勝
新世紀・みやぎ国体 1500m2
500m5
1996〜2001年 国体出場・入賞

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