日本新記録を樹立して

 先日行われた、東アジア競技大会で400mHと4×400mRの日本記録を出すことができました。ハードル種目で日本新記録を出しましたが、実は、私はずっと400m、800mの選手として競技を続けてきました。私が、400mHを本格的に始めるきっかけとなったのは、平成7年に行われた「ふくしま国体」でした。

 国体種目の関係で、私の出場できる種目は400mHと800mでした。800mはその年の日本選手権でも入賞しており、国体でも確実に入賞はできました。しかし、当時の福島県にはもう一人800mの強い選手がいて、代表選考を兼ねた福島県選手権で負けてしまいました。その瞬間、私が400mHで国体に出場せざるを得なくなりました。400mHの持ちタイムは61秒37で、成年選手の中で通用するタイムではありません。しかし、出場すると決めたからには、やるしかありません。その後の3ヶ月間はこれまでに経験したこともないような、量的にも質的にも厳しいトレーニングを積み重ねました。そして、運命のふくしま国体が始まりました。私は、大会最初の種目となりました。今までの練習の成果を出したいと、前半から積極的に走りました。その結果、最後の直線にさしかかる時にはトップを走っていました。「先頭は福島の・・・、」とアナウンスが聞こえた瞬間でした。私は、転倒していました。初日の一発目、県民の期待を一身に背負った私は、つま先を引っ掛けて転倒してしまったのです。その瞬間は、頭が真っ白になりました。そこから、懸命に追い上げましたが、全体の10番目で決勝に残ることができませんでした。

 今まで様々な悔しい思いを経験してきましたが、あれほど悔しかったことはありません。努力が報われないことほど悔しいことはありません。今まで経験したこともないほど頑張ってきたことが一瞬にして消えてしまったのです。本当は、ふくしま国体で決勝に残って1点でも点を取ったら、また好きな800mに戻ろうと決めていました。でも、この日、私は400mHで納得いく結果が出せるまで続けることを決めました。「あの転倒があったから」と言えるまで頑張ろうと思いました。

 このふくしま国体の転倒がなかったら、ハードルを続けていなかったし、今回の日本新記録もありえませんでした。

そのふくしま国体から約6年。私は、400mHでも日本で勝負できる選手になるまでに成長しました。この6年間で、体力的にも精神的にもパワーアップしたと思います。

体力的な面は、ハードル技術を身に付けるのではなく、走力をつけることを重視しました。100mから400m、800m、時には駅伝にも挑戦しました。そういった、様々な種目を経験することで、種目など細かいことにこだわらず、「陸上」の選手として総合的に力をつけていくことができました。

精神的な面は、いろんな試合を経験することで、レースに対する気持ちが「結果」よりも「力を出し切る」という方向へ向いてきました。結果は、結果に過ぎず、それ以上でも以下でもありません。一番重要なことは、そのレースで自分の力をすべて出し切るということなのだと思うようになりました。そういう気持ちになってから、結果が出るようになってきました。日本新を出した時も、そんな気持ちでスタートラインにつきました。

その結果、従来の日本記録を「0.01秒」更新することができました。ここまで来るのには、多くの方々の支えがあったから頑張れたんだと思います。川本先生をはじめ、大学と変わらない練習環境を快く与えてくださっている福島県体育協会の皆さん、福島陸協の先生方、名前を挙げたら切りがないくらいです。多くの方々の支援を追い風にしてこれからも頑張っていきたいです。

レースでは日本記録を出しても、中国の選手には追いつきませんでした。まだまだ日本と世界の差はあります。この0.01秒の更新をきっかけに、世界で戦えるように努力していきたいと思います。

平成13年5月27日
福島大TC 吉田真希子

プロフィール
出身 福島県須賀川市(今は郡山市在住)
勤務先 (財)福島県体育協会
出身校 安積第一小学校
  ↓
安積中学校
  ↓
安積女子高校(現:安積黎明高校)
  ↓
福島大学教育学部
  ↓
福島大学大学院教育学研究科

主な成績
中学校 全日本中学:800m第6位
高校 べにばな国体少年B800m第4位
わかしゃち国体少年A400mH第5位
日本ジュニア選手権800m第3位
(インターハイは毎年準決勝落ち)
大学 1998年世界室内選手権800m代表
1999年全日本インカレ800m優勝
2000年全日本インカレ400mH優勝
2000年アジア選手権800m第4位
2000年日本選手権400mH優勝
2000年富山国体400mH優勝

戻る