世界なぎなた選手権大会 優勝!

菅原比呂美さん・吉田裕子さん

2人のプロフィール紹介文

吉田裕子選手(よしだゆうこ) 
出 身 福島県
段 位 4 段
勤務先 会津若松市立一箕中学校(教諭)

菅原比呂美選手(すがはらひろみ)
出 身 福島県
段 位 4 段
勤務先 福島市スポーツ振興公社

お二人は、4月4日にフランス・パリで世界11カ国が参加した「第2回世界なぎなた選手権大会」に演技の部(吉田選手:仕掛け技、菅原選手:応じ技)で出場し、見事優勝しました。昨年度行われた第54回国体「かながわ・ゆめ国体」でも、演技の部で準優勝しており、日本における福島県のなぎなたの技術が世界に誇れるレベルであることを実証した大会です。

「なぎなたと私」 菅原比呂美さん

 なぎなたと私の関係は切っても切れないものであり生活の一部になっています。
なぎなたを始めて20年になりますがいろんな事がありました。
始めたきっかけは5・6才の頃だったのでほとんど記憶にありませんが母親に聞くと自分でやりたいと言っていたようです。
それでも楽しいと言うよりは、行きたくなくて泣きながら母親に連れて行かれたことも何度かありました。
どちらかというと、辛かった思い出の方が多かったような気もします。
 小・中・高校では少人数の道場で週に3回稽古をしていたので大学に入ってからは上下関係の厳しさに最初はついていけませんでした。でもふくしま国体で優勝したいと思い、その大学を選び親にもやっとの思いで説得したので弱音は言えませんでした。そしてふくしま国体が近づくにつれ強化合宿や遠征も増え、土・日や連休・祝日は、ほとんどなぎなたばかりでした。
その結果ふくしま国体では演技優勝、団体3位という成績を残し、任務をやり終えたという気がしました。
 しかし国体が終わってしまったら目標を見失ったようになりました。私はこんなことをしていていいのだろうかと悩んだこともあります。でも私からなぎなたを取ったら何が残るだろうと思ったら辞められませんでした。
 そして、昨年8月選考会があり、今年の4月に行われた第2回世界なぎなた選手権大会の演技競技に参加することになりました。
その結果は日本同士の決勝戦となり私達が優勝しました。
その瞬間は嬉しさで涙が出ました。しかしこれからが大変だなと思いました。でもいつも通りにやるということがお互いの合言葉になっていますので結果にとらわれず頑張っていきたいと思っています。
 また5月には都道府県対抗なぎなた大会がありますので、上位入賞を目指したいです。

「なぎなたと私」 吉田裕子さん

 私が「なぎなた」に出会ったのは今から19年も前のこと。小学校2年生の時でした。ちょっとした偶然で見たテレビでなぎなたというものを初めて知りました。
あまりにも前にことで当時、何を思ってなぎなたをやってみたいと思ったのかは覚えていませんが、とにかくやりたいと感じていたのは確かです。
 それから半年後、ようやく始めることができたなぎなたの稽古はやさしいものではなく、冬は雪が吹き込んでくる道場の中の床は氷のように冷たくつらいものでした。でも、体格がよく、運動神経のよくない私でも上達し、先生方に認めてもらえることがうれしくて稽古が大好きになりました。
 今まで、なぎなたを続けるか悩んだり、自分の力が伸びず辞めようと思うこともありましたが、私からなぎなたをとってしまったら何も残らないとその度思って続けてきました。今の私があるのは、なぎなたのおかげだと思っています。
 今回世界なぎなた選手権大会に出場することが決まったとき、正直なところ戸惑いの方が大きくて、もっと上の人がいるのではないか、私たちが出場しても大丈夫なのだろうか、というような不安はつのるばかりで、喜びはあまり感じませんでした。
 大会までに行われた兵庫・愛知・東京などでの強化合宿は厳しく、つらいものでしたが、なぎなたを始めた頃のような楽しいなぎなたができたような気がします。
 大会当日は、日本では味わうことのできない雰囲気の中で試合が進められました。観客の声援、拍手が大きく、大変な盛り上がりで、普段より緊張する中で日本のなぎなた、本当のなぎなたが表現できるよう頑張りました。結果は優勝することができましが、たくさんの課題を持って帰って来て、さらに今後の稽古につなげていきたいと思っています。
 私がなぎなたを長年続けてくることができたのは、通っていた陵武館道場でご指導頂いた佐藤完子先生、菅野敬子先生 お二人のおかげです。自分自身が指導する立場になった今、厳しく、温かいお二人の先生のような指導を目指して、一人でも多くの子がなぎなたにひきつけられるよう育てていきたいと思っています。

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