「バスケットボールと私」 萩原美樹子さん

プロフィール

萩原 美樹子(はぎわら・みきこ)
 福島県出身。180センチ。蓬莱中、福島女子高から89年共同石油(現ジャパンエナジー)入り。日本リーグで91年シーズンから5年連続ベスト5に選出。93年からは3年連続得点王。入社と同時に日本代表にも選ばれ、アトランタ五輪では日本選手最高の142得点を挙げ、7位入賞の原動力となる。97年、米女子プロバスケットボール協会に所属、フェニックス・マーキュリーなどで活躍する。
 私は福島で生まれ、福島で育ちました。バスケットボールの選手だった父の影響を受け、小学生の頃から自然にバスケットボールをやるようになりました。小・中学校時代は、バスケットボールは純粋に楽しいものでした。身長があるので苦労知らずに試合に使ってもらえるといった有利な面もありました。高校では入学時から大学進学を希望していたので、勉強とバスケットボールの両立を目指して、何のプレッシャーもなく伸び伸びと楽しいバスケットボールをやりました。人生の転機が訪れたのは高校2年の時です。東北選抜に選ばれ、東北代表として試合に出たことで実業団の共同石油の監督に声をかけてもらうことになり、19歳の春に入社することになりました。
 入社してからの生活は基本的に一日中が練習で、当初はとてもつらかったです。当時は大学に行きたかったという思いがあり、気持ちが後ろ向きで、練習をやらされているという状態だったからです。上手になりたいとか日本一になりたとかの意欲や意識を持っていなかったのです。しかし、バスケットボール中心の毎日の実業団での生活が経過する中で、私はバスケットボールをしに来たんだという自覚が生まれて来ました。そして2年目からスターティングメンバーとして出るようになったのですが、6年目になるまでライバルのシャンソンには一度も勝てない状態が続きました。監督からは「ここ一番に弱いエース」と毎日言われ続け、自分でもそう思い込んでしまいました。素直すぎたのかも知れません。心が弱くあきらめかけていた入団5・6年目の頃に、メンタルトレーニングの白石豊先生(福島大学助教授)を紹介されました。「あきらめないでやってみないか。」という先生のことばに、今までのはがゆい自分に別れが告げられるように感じられ、メンタルトレーニングを始めることにしました。メンタルトレーニングによって頭で考えるよりも先に体が勝手に動いてしまう、究極の状態である「ゾーン状態」というものの存在を知りました。私はオリンピックの舞台で初めて経験しました。しかしそういったゾーン状態はそれを追い求めると逃げて行ってしまうものです。最高の状態が毎日訪れるのはあり得ないことで、やるべきことを毎日遂行してゾーン状態へアプローチしていくことが大切で、それがメンタルトレーニングです。オリンピックはすばらしい舞台です。スポーツ選手が一人の人間としての能力の限界を競う場だと感じました。ぜひ、みなさんにも経験していただきたいものです。
 さて、WNBAが発足し私はアメリカでプレーしてきましたが、その中で感じたことは、アメリカの選手は自分を主張する技にすぐれているということです。アメリカで競技者としてやっていくには、目標をしっかり自覚し、自分なりの考えをしっかり持つことが大切です。しかし、アメリカのやり方がすべて日本より勝っているとはいえません。日本人の方がチームプレーは上手です。日本には日本なりの向上の仕方があるのではないでしょうか。その意味で海外を経験するのはよいことだと思います。
 最後に、スポーツ選手は心に余裕を持って自分の競技を楽しむことが大切だと思います。「楽しむ」とは、ただ単にスポーツが楽しいということでなく、スポーツ技術のレベルを高めていき、自分自身の究極の状態でプレーするといった究極の楽しさを追い求めていただきたいと思います。

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